福中城
間嶋彦太郎と福中城 文明年間(1469)今の福中部落の南東の地に福中城があった。城主は播州の豪族・赤松一族の間嶋彦太郎と言い、代々彦太郎と名のっていた。三木の別所氏の出城であったが、天正8年(1580)三木合戦の時、他の諸城と共に豊臣秀吉に破却された。父は別所方につき子は秀吉方について親子で争ったのは、いずれが勝っても家名が立つというわけからである。落城後父の菩提を弔うため文禄元年(1592)に寶珠寺を創建した。法号は、寶珠寺殿露白富朝大居士である。